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死に化粧は肉体の処理

現在では、ほとんどの人は病院で亡くなると言っていいと思いますが、病院では患者が亡くなると、遺体をきれいに洗って鼻や耳に綿をつめます。
これは「清拭」といわれていますが、宗教的な意味合いは特にないと考えていいでしょう。
死体はどんどん腐っていきます。
だから腐臭もしてきますし、鼻汁なども出てきます。
耳からも腐ったものが出てきますから、これを止めないといけません。
それが清拭の役割だと思います。
かつては、人が死ぬとまず「湯潅」といい、死出の旅路につくために死者の体が洗い清められました。
それから、男性ならひげを剃り、女性なら薄化粧をして髪を整え、「死に化粧」が施されました。
この時に出家した形を取るために髪を剃るまねをしたりするのですが、今ではこれらは清拭の中に含められ、魂の処理の意味はほとんどなくなって肉体の処理として行われているのが実態です。
最近では"エンバーミング"といい、血管から防腐剤を注入して遺体を長く生きているように保つ技術もアメリカから導入され、利用者も増えているといいます。
これは、海外で事故や病気のために亡くなった人が、自宅に運び入れられるまで体が腐らないように施される場合が多いそうです。
いずれにしても、肉体の腐敗を処理に都合のいい時点まで引き延ばすための技術で、霊魂の処理とは関係なさそうです。
遺体に死に化粧を施したあと、「死に装束」が着せられます。
経帷子を左前に着せて額に三角頭巾をあて、手甲、脚絆、白足袋をつけさせ、わらじを履かせます。
そして数珠や杖、六文銭を柩に入れます。
要するに、霊場を巡る巡礼者のかっこうで、これから死出の旅路に出るために身につけさせる服装でしょう。
その意味では、死に装束は魂の処理の名残を感じさせる習俗です。
浄土真宗では、生前より阿弥陀仏によってすでに救済されているという教義から、死に装束は否定されており、最近ではほかの宗派でも正式な死に装束を着せることは少なくなりました。
その代わり、死者が生前好きだった服装をさせたり、葬儀社が用意した略式の経帷子を遺体の上にかけて済ませることが多くなっているようです。

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死者の渇きを癒す末期の水

病院であれ家庭であれ、人が亡くなると、その場に立ち会った人たちによって、割り箸の先に脱脂綿を巻いて糸で縛ったものに水を含ませ、死者の唇に塗ってあげます。
筆を使う場合もありますが、これを「末期の水」とか「死に水」と呼んでいます。
そのいわれはよくわからないのですが、仏教ではその習俗を経典に関連づけて、こんなふうに説明しています。
お釈迦さまはご自分の死期を悟った時、生まれ故郷の方角に向かって侍者のアーナンダと旅に出ます。
そしてパーヴァー村に至った時、鍛冶工から豚肉料理の食事(北伝の伝承ではきのこ料理とされています)を供養され、これにあたって下痢をし、激しい苦痛に襲われます。
途中一本の木の根もとに座り、お釈迦さまはのどが渇いたので水をくんできてほしいと頼むのですが、アーナンダはこう答えます。
「尊い方よ。いま五百の車が通り過ぎました。(ここにある)その(河の)水は、車輪に割り込まれて、量が少なく、かき乱され、濁って流れています。遠からぬところにあり、水が澄んでいて、水が快く、水が冷やかで、清らかで、近づき易く、見るも楽しいのです。尊師はそこで水を飲んで、お体を冷やしてください。」
要するに、「この近くの河の水は車が通ったばかりで濁っているから、水のきれいなところまでがまんしてください」とアーナンダはお釈迦さまに言うわけです。
ところが、お釈迦さまはこらえきれないくらいのどが渇いていたのでしょう。
「アーナンダよ。わたしに水をもって来てくれ。わたしは、のどが渇いている。わたしは飲みたいのだ」
そう要求します。
このやり取りを三度続けたあと、アーナンダがしかたなく車で濁った近くの河に行くと、不思議なことに水は透明に澄み、濁らずに流れていたというのです。
アーナンダがくんできたその水を、お釈迦さまはおいしそうに飲まれたという話が伝えられています。
これが末期の水の由来だという説もありますが、こじつけくさいと思います。
実際は、臨終に際し死者ののどの渇きを遺族が想像し、少しでも苦しみや渇きを癒してあげたいという気持ちの表れがそういう習俗に結びついたのではないでしょうか。
今は病院で人が亡くなると、遺体は霊安室に運ばれて、遺族から特に指定がないかぎり、病院が葬儀屋さんに連絡をして家に運ばれるようです。
葬儀屋さんは遺体を運ぶ専門の車を持っていますが、自分で運びたいという人は自家用の車で運んでも法的には問題ないそうです。
ただし、死亡診断書と埋葬許可証を持っていなければならないということです。

帰宅した遺体-なぜ「北枕」にするのか

家に運び込まれた遺体は、頭を北の方角に向けた、いわゆる「北枕」に寝かせられます。
このいわれもはっきりせず、迷信と考えていいと思います。
よくいわれる説では、お釈迦さまの涅槃の姿をまねているといわれます。
※その他、北枕に関する迷信はこちらをご覧ください。
お釈迦さまは亡くなる時、クシナガラの二本のサーラ樹の間に横たわりました。
サーラ樹は漢字で"沙羅"と表記されますが、有名な『平家物語』の冒頭の、「祗園精舎の鐘の声、沙羅双樹の花の色」ということばの「沙羅双樹」は、この二本のサーブ樹のことをいっているわけです。
二本の沙羅の樹だから沙羅双樹ということです。
お釈迦さまは沙羅双樹の間に横たわり、頭を北に向け、右わきを下にして顔を西に向け、涅槃に入られたといわれます。
このお姿は、頭北面西右脇臥、と呼ばれ、涅槃を表す仏像はこの姿で作られます。
この姿勢は右わきを下にしますから心臓が上になって苦しくありませんし、天井を向いて寝ると重力で鼻孔が圧迫されていびきをかきやすいといいますから、意外に理想的な寝姿なのかもしれません。
しかし、それにしても、亡くなった方を北枕には寝かせますが、右わきを下にするわけではありませんから、涅槃のお姿をかたどっているとしたら中途半端な形です。要するに、習俗にあとで理屈をつけたものだと思います。
その意味でも、まったくこだわることのない迷信といっていいでしょう。
北枕に寝かされた遺体の布団の上、または枕もとには、小刀やカミソリ、包丁やはさみなどが置かれます。
これらは「守り刀」と呼ばれ、魔除けや鎮魂の意味を表すといわれますが、やはり俗信からくる習俗と考えていいと思います。
その証拠に、お釈迦さまが亡くなった時に守り刀を置いたなどという文献はまったく見あたりません。
また、遺体の枕もとには、白木か白布をかぶせた台が用意され、その上に香炉、燭台、花立てが並べられます。
これを「枕飾り」といい、花立てには楠がいけられます。
ほかに、水や茶碗にごはんを盛り、箸を一本立てた枕飯、枕団子などが用意されるところもあります。
人は死んで中陰をさまよっている間「意生身」という姿の見えない存在となり、香りだけを食するので「食香」とも呼ばれます。
だから香炉に線香を絶やさず、楠など香りの強い植物が供えられるといい、また枕飯や枕団子は冥土の旅のお弁当だなどといわれますが、これまた俗信の習俗といっていいでしょう。
浄土真宗などでもこれを俗信とし、行わないのが一般的なようです。

死者の目をくらます搬送

家の中に遺体を運び入れるのは先ほど言ったとおりの状況ですが、家から運び出す時は少し別の意味が加わります。
というのは、洋の東西を問わず、昔から死者は怖いものだったからです。
死者が家に帰ってくるのが怖かったので、帰ってこれないように各地でいろいろな習俗が生まれたのです。
仏教が発祥する以前の、紀元前一〇〇〇年ころの古代インドの「ヴェーダ文献」などには、葬送の儀礼が載っています。
それを見ると、たとえば棺おけを担いでいく時に、死者が足跡を伝わって帰ってくるから、棺おけの後ろに帑をつけて、足跡を帯で消しながら歩けなどということが書かれています。
やはり、死者が帰ってくることが怖かったのでしょう。
ですから、棺おけを家から運び出す時は、日本でも昔から通常の戸口は使いませんでした。
わざわざ壁をぶち破って出すとか、あるいは窓から出したりしたのです。要するに、死者が知らない出口を設けてそこから出す。
そして、出したところで棺おけを二、三度ぐるぐる回して方向をわからないようにして運ぶなどという方法が取られました。
これらも死者の目をくらまし、家に帰ってこれないようにするための迷信です。
霊柩車は往復同じ道を通らないなどといわれていますが、それらの風習もすべてそういう迷信に基づいて行われているのです。
ただし、これらの習俗も、同じ日本でも地域、地方によってまったく違います。
たとえば北海道あたりではお通夜を大事にし、みんながお通夜に行きます。
ところが、大阪あたりに行くとお通夜は身内だけでやるものだという認識になり、よほど親しい者でないとお通夜には呼びません。
本葬に来てもらうんだという考えです。
もっとも、これも最近はだいぶ様変わりしています。
また、お寺に死体を安置させるところと、「とんでもない。死体なんか不浄だから持ってくるな」というお寺もありますし、地域や地方によって、習俗・風習はバラバラだといっていいと思います。

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